犯罪被害者の人権

 

『なぜ君は絶望と闘えたのか』 門田隆将 著

本書は、1999年に発生した光市母子殺害事件で妻子を殺された本村洋さんの闘いの記録です。

少年犯罪における被害者の扱われ方とともに死刑制度の在り方についても書かれています。

 

この事件の加害者である少年は、当時18歳でした。そのため、少年法61条に守られて報道は匿名でした。少年法の趣旨が未成熟な少年を保護し将来の更正を可能にする点にあるためです。

 

 

それに対し被害者は許可もなく実名や顔写真を報道され、プライバシーが守られる状況ではありませんでした。マスコミによる暴力です。

 

マスコミのみならず、事件の残忍性により死刑を求刑する検察に対し、個々の事件の内容から量刑を判断せず、被害者の数が2名であることを拠り所に無期懲役の判決を下す裁判所。

 

裁判が進むにつれ、死刑が求刑される可能性が見えるや突如、死刑廃止論者の弁護士を中心に荒唐無稽な主張で死刑回避に躍起になる弁護団。

 

マスコミ、裁判所、弁護士、すべてが被害者の敵に思われます。

 

当事者にも関わらず、捜査状況もわからない、法廷に傍聴席もなく、何も発言できない被害者。この当時、犯罪被害者の人権を尊重するという概念はなかったと言ってもいいかもしれません。

 

 

何度も壁にぶつかり、絶望を味わい、ときには生きる気力も失った本村さん。

しかし、同じ犯罪被害者の立場の人たちとともに「犯罪被害者の会(現:全国犯罪被害者の会)」を立ち上げ活動を始めていきます。その間、周囲の人が様々な形で本村さんを支えます。

 

地道に活動を続けた結果、犯罪被害者等基本法が制定、犯罪被害者等基本計画が策定されるなど、今日に至るまで行動は着実に実を結んでいきました。

 

 

そして、犯行当時少年だったことは死刑回避の決定的事情とは言えないとして上告は棄却され、差し戻し控訴審でついに死刑判決が下ります。

 

 

皆が念願叶ったと喜びを噛み締めるなか、本村さんはひとり「当然の結果が出ただけ」と

冷静であるよう努めます。

 

「死刑制度というのは、人の生命を尊いと思っているからこそ存在している。

残虐な犯罪を人の生命で償うというのは、生命を尊いと考えていなければ

出てくるものではないからだ」という記述が印象的でした。

 

こちらは法務省のパンフレットの抜粋です。
現在では、当時とは比較にならないほど被害者救済制度が整っています。

おかしなことに対しておかしいと声をあげること、
あげ続けることが世の中を変える一歩となりうるのです。